変人と自由(3)

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(1)で書いたように、私と「自由」の領域が違うというところに興味を持ち、ブログで取り上げることにしたのですが、彼女は「自由」という言葉で自分を形容されたのは初めてだそうです。確かに、人を形容するのに「自由」という言葉はちょっと大層かも知れません。

 

(そこで「自由」を考えるために、ちょっと自分のことを振り返ってみます。)

 

私は34歳で制作会社を退職しフリーランスのコピーライターとしてスタートする前に、5ヶ月間オーストラリアを夫婦で旅行しました、確かにその時は「自由」だったと思います。帰国し、平成のスタートと同時に日高事務所を設立。その後数年間はそれなりに順調で、仕事がどんなに忙しくても「自由」を感じていたと思います。やりたい仕事をやっている、そんな満足感がありました。

 

いま気付いたのですが、この二つの「自由」には少し違いがありました。オーストラリア滞在中は、自由なんて意識せず、ただやりたいことをやっていた。バイクで旅行したり、車で大陸を半周したり、やりたいことをそのまま体験していた。そんな気がします。自由なんて意識しないほど自由だった、ということかも知れません。

 

それに比べると、フリーランスになってからは、スタートして3カ月間は仕事がまったくなかったり、それでも楽観的だったけど少し不安だったりして、いろいろあるけどそれでもフリー(自由)だ、的な感じではなかったかと思います。バブルの最後の頃でもあり、一度仕事が来てからは順調に流れ出したので、自由という感覚はあまり意識はしませんでしたが、それは充実感とともにあったように思います。

 

自由を阻害しよういう要素(仕事による疲労や不安など)がいくらかあった方が、自由を意識するのかも知れません。おそらく彼女にはそのようなものはないと思うので、おそらく私のオーストラリア状態ではないかと思います。ほとんど自由を意識していない、のじゃないかなと思います。彼女からは全然違うと否定されるかも知れませんが。(文中の「おそらく」は意図的に続けて使っています。念のため)

 

もう一つ、「自由」を考える上で、整理しておきたいのが、高校時代と、高校卒業前に本屋に就職し、大学に行くのをやめた時の「自由」です。読まれる方は、きっと面倒くさい理屈に感じられると思うので、適当に読み捨ててください。次の(4)で展開します。

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