2011年3月アーカイブ

やりたいことがあるから、自由がある。あるいは自由を感じられる。私としては久々に「自由」に向き合って、当たり前のことを確認させていただきましたが、いつかおそらく今回の思考が役に立つ機会がくると思います。人生に無駄はないと思っていますから。

 

薙刀の彼女は、高校の理科の教師をめざして某私立大学理系学部に進み、そこで研究の面白さに出会い、難関国立大学の大学院にめでたく合格し、そのまま研究の道をめざすと思いきや、高校教師の道、まったく別ジャンルのSEの道など、いくつかの選択肢も残しているといいます。さらに大学院で別の新しい道に出会うかも知れません。将来への入口がたくさんある、といったイメージです。

 

いずれ彼女も、いくつかあるカードの中から1枚を選択する日が来ると思います。場合によっては研究と教師のカードが一つになり、大学の教員というカードも生まれたり、研究とSEの合体カードなんてことがあるかも分かりませんが、彼女のことだから、なるようになっていく、いいようになっていく、という感じがします。社会に出ても、違うなと思えばカードをチェンジできてしまう。その気になればまったく新しいことにもチャレンジしてしまう。彼女にはそんな余裕のようなものを感じてしまいます。

 

人生のストーリーは、一生じゃ足りないよな。

 

これは、私の好きなバンドHigh-Lowsの『14才』という曲の一節ですが、彼女の好奇心が世界から発見していく人生のストーリー、やりたいことは、一生では足りなくなるでしょう。一生に入りきれないほどの人生のストーリーは、それぞれが重なり合ったり、せめぎ合ったりしながら、彼女の中で育まれ、彼女に選ばれ、彼女の時間をつくっていきます。そして、彼女をつくっていきます。いつかまた、お会いできれば、お会いしたいです。

 

上野さん、いい人生を、素敵な自由を生きてください。

 

今回は題材に使わせていただき、ありがとうございました。

やりたいことをやる、なりたいものをめざす、というのは、やりたい、なりたいがあるから可能になります。そのやりたい、なりたいをどう手に入れるか。多くの場合、そここそが重要で、それを「夢」とも言い、それを手に入れると人は動き始めます。

 

そのためには何らかの出会いが必要です。私の場合は、テレビドラマでした。ドラマによってコピーライターをいう職業を知り、自分に向いているかも、というひらめきがあり、そこからは結局、若干の修整はありましたが、ほぼ一筋でした。

 

薙刀の彼女の場合、出会いを呼び寄せるのが、その旺盛な「好奇心」と「行動力」のようです。「もっと知りたい」「もっと別の世界があるのでは・・・」と思うと、それを知ろうと行動します。(彼女の場合は、実はこの常識を意に介さない「好奇心」と「行動力」が、「変人」の素質の両輪を成しているのではないかと思う。普通やらないでしょう、という思考回路がないか弱い。)

 

「好奇心」が強く、「行動力」があるから、色々なものや人と出会い、やりたいことにも出会う。だから、色々なことをしたいと思うが、まだ一つに絞り切れていないし、また院生1年の現時点では絞る気もない。

 

やりたいことがたくさんあるというのも、職業選択においては、それはそれで悩みなのかも知れません。やりたいことがないのに比べると、贅沢な悩みだと言わざるを得ませんが、もしかしたら、彼女に足りないのは「欲望」かも知れないと、ふと思ってしまいました。「強く何かを欲する」ということですが、ただ、この手の欲望は順風育ちでは簡単に手に入れられるものではないかも知れません。経験とか時間とかが必要かも知れません。

昨日の(4)で39年前のことを思い出しながら書いたので、ついつい長くなってしまい、(5)に持ち越しとさせていただきました。薙刀の彼女と出会ったのを機に、この39年間を「自由」というテーマで総括している、そんな気がします。

 

高校を卒業してからは、本屋は半年でやめ、バイトをしながら本を読み、20歳で登山をはじめ、スキーをはじめ、カメラをはじめ、やりたいと思ったことはできるだけやるようにしてきました。職業を探す意識は常にあったように思います。

 

あの頃は、どうだったんだろう。回りからは自由に動いているように見えたと思いますが、何になりたいかもわからない男、将来が見えない男が自由を感じるはずはなく、バイトをしながら就きたい職業を探して、時の流れに身をまかせていた。でも焦っていた。そんな感じではなかったかと思います。

 

薙刀の彼女が、私と違うのは、既にしたいことはあるのに、自分はもっと色々したいことに出会うだろうという楽観、ということでしょうか。そして、それはそれまでの経験のなせる技なのでしょうか。中学生の時からなりたい職業(声優)があり、そのために専門学校に行く、つまり進路を明確にするという人生選択の意志があったというのは、やはりちょっとスゴイと思ってしまいます。私は何もありませんでしたから。

 

"何かをやりたい"という意識の形成は、先天的な資質もあると思いますが、多くは教育のなせる技ではないかと、個人的に思っています。自分に強く"やりたい"と思うことがなかっただけに、私は常に息子の"やりたい"を大切にするようにしてきました。その甲斐があってかどうか、高校1年の彼は勉強はほどほどに、小3から続けている"やりたい"野球を思う存分やっており、それに関しては親としてそれなりに満足しています。薙刀の彼女の親御さんも彼女の"やりたい"を大切にされたのかも知れません。

意外に思われるかも知れませんが、今までの人生の中で、最もしんどかったのが高校時代だったように思います。もがいていたような気がします。自己という感覚は漠然とありながら、自己がつかまえきれない、その存在感の希薄さに、やはりもがいていたような気がします。

 

あの頃の感覚をどう表現すればいいかわかりませんが、もちろんそこには「自由」なんて感覚はなかったと思います。進むべき方向を持たないエネルギー体はどんなに熱を発しても、移動できたとしても、無意味。そんな自己イメージだったように思います。自由なんてある訳がないのです。だから何かに走る。走ることによって、とりあえずある方向は生まれる。つまり、進行方向。何かをやっている、そんな充実はあったように思います。

 

そのまま大学に行くのがいやで、この状態のまま生きていくのがいやで、いつの間にか乗ってしまっていた人生のレールから降りようと決め、大学に行くことをやめました。その決断をした途端に、広い荒野が広がりました。その感覚は今でも覚えています。相変わらず進むべき方向は定まっていないが、自分の足で立っているという実感が以前と違っていた。重力を感じた。世界が広がった。そして「自由」を感じた。あの「自由」は何だったんだろうと、いま改めて思います。ただ分かっているのは、自分で考え、行動しなければならないということだけでした。

 

親には、特に父親には申し訳なかったけれど、私の場合、あの選択は成功だったと思っています。

(1)で書いたように、私と「自由」の領域が違うというところに興味を持ち、ブログで取り上げることにしたのですが、彼女は「自由」という言葉で自分を形容されたのは初めてだそうです。確かに、人を形容するのに「自由」という言葉はちょっと大層かも知れません。

 

(そこで「自由」を考えるために、ちょっと自分のことを振り返ってみます。)

 

私は34歳で制作会社を退職しフリーランスのコピーライターとしてスタートする前に、5ヶ月間オーストラリアを夫婦で旅行しました、確かにその時は「自由」だったと思います。帰国し、平成のスタートと同時に日高事務所を設立。その後数年間はそれなりに順調で、仕事がどんなに忙しくても「自由」を感じていたと思います。やりたい仕事をやっている、そんな満足感がありました。

 

いま気付いたのですが、この二つの「自由」には少し違いがありました。オーストラリア滞在中は、自由なんて意識せず、ただやりたいことをやっていた。バイクで旅行したり、車で大陸を半周したり、やりたいことをそのまま体験していた。そんな気がします。自由なんて意識しないほど自由だった、ということかも知れません。

 

それに比べると、フリーランスになってからは、スタートして3カ月間は仕事がまったくなかったり、それでも楽観的だったけど少し不安だったりして、いろいろあるけどそれでもフリー(自由)だ、的な感じではなかったかと思います。バブルの最後の頃でもあり、一度仕事が来てからは順調に流れ出したので、自由という感覚はあまり意識はしませんでしたが、それは充実感とともにあったように思います。

 

自由を阻害しよういう要素(仕事による疲労や不安など)がいくらかあった方が、自由を意識するのかも知れません。おそらく彼女にはそのようなものはないと思うので、おそらく私のオーストラリア状態ではないかと思います。ほとんど自由を意識していない、のじゃないかなと思います。彼女からは全然違うと否定されるかも知れませんが。(文中の「おそらく」は意図的に続けて使っています。念のため)

 

もう一つ、「自由」を考える上で、整理しておきたいのが、高校時代と、高校卒業前に本屋に就職し、大学に行くのをやめた時の「自由」です。読まれる方は、きっと面倒くさい理屈に感じられると思うので、適当に読み捨ててください。次の(4)で展開します。

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